「脱・ヘルパー依存」再考―真なる自立を求めて

昨日、わたしは「脱・ヘルパー依存」ということを日記に書き、自分の日常生活のなかで自分でできることは自分でやるということを書いた。

しかしそれが本当の意味での「脱・ヘルパー依存」ではないような気もする。

というのは、ヘルパー派遣会社には派遣会社なりの事情もある。たとえば、わたしの担当しているヘルパーが急病で倒れた、その人が退職することになった、あるいは人員が足りなくなったとか。そういう理由で、どうしてもヘルパー交代、あるいはヘルパー派遣会社そのものを他の会社に変更しなければならないということは起こりうるのである。

その時にわたしはどのように対応するのか。

自分の思いのままにならないと落ち込んでしまうのか。しかし落ち込んでいても、何も変わらないのである。

やはりそのヘルパー派遣会社の代表者との話し合いの場を設定してもらい、そこでわたしが納得がゆく説明を聞くということが絶対に必要なのである。

今回の?ヘルパー交代劇?には、事前の説明がヘルパー派遣会社から何ら説明は受けていなかった。説明を受けぬままに?ヘルパー交代?が行われ、わたしは一時的にせよ、その?ヘルパー交代?を受け入れてしまった形になっていたのである。何ら?ヘルパー交代?の理由も説明も受けないままにである。

わたしには今回の?ヘルパー交代?には納得ができていなかった。ただ、?自分サポートを受ける側の人間だから?という?してもらっている?感がとても強かったのである。そのことがをわたしにはストレスになってしまっていたのである。

問題は?ヘルパー派遣会社による事前の説明の必要性?である。

その?ヘルパー派遣会社による事前の説明?は何もヘルパー派遣会社から行われることだけではなく、わたし自身がヘルパー派遣会社に説明を求めるべきことだったのである。つまりわたしが利用者としてヘルパーの行動に疑問や問題を感じた時は、何ら躊躇することなく、ヘルパー派遣会社にこの件はどうなっているのか、何故こういうことが行われるのかということを問い合わせればいいことなのである。そうして話し合いの場を設定してもらう。その時に必要となれば、障害者相談支援センターの担当者にも入ってもらう。

このような?主体的な対応?をわたしが取らなければいけないのである。このような?わたし自身の主体的な対応?においてはじめて利用者である障害者とヘルパー派遣会社、あるいはヘルパーとの?対等な関係?が成立してくるのである。

「脱・ヘルパー依存」とは、わたしが日々ヘルパーにサポートを受けている行為をわたし自身が一人でできるようになるということではなく、わたし自身がヘルパーやヘルパー派遣会社の対応に疑問を感じれば、すぐにヘルパー派遣会社そのものに問い合わせをするということでありも話し合うということなのである。

先日、わたしは障害者相談支援センターの担当者から

「おまえはよく?障害者だから?という言葉を使うが、この件には障害者宝ということは関係ないと思う」

と言われたことがある。わたしはその担当者の言葉がずっと気になっていて、わたしが?障害者だから?という言葉は?ヘルパー依存?の裏返しだと考えていた。しかしそうではなく、わたしのなかにある?してもらう側だから?という意識の裏返しだったように思われてならないのである。

自立とは、何も働くことではないとも障害者相談支援センターの担当者から言われた。自立とは切ってその人に応じた形があるのだろうか、わたしにとっての自立とは、まずヘルパー派遣会社あるいはヘルパーとの?対等な関係?を真に築いていけるか否かにあるように考えている。つまり?おかしい、変だ?と思ったその時に行動ができるか否かなのである。

実はこのわたし自身の?主体的な対応?が取れるか否かがわたしにとっての真の意味での?自立?なのだと考えてているのである。